来週から個人指導で中国語を教えることとなりました。
どうやら最近では、
「語学はネイティブに教わるべき」
「赤ちゃんの心で学ぶ」
という考え方も下火になってきたと思うのですが、改めて自分の考え方を書いてみたいと思います。
ネイティブ(だけ)に教わるというのは、ある程度学習が進み、カタコトでも何とか意志の疎通ができるようになってからでも遅くないと思います。
もちろん、日本人、外国人どちらの教師もいてくれるというのが理想なのかもしれませんが、それほど恵まれた環境にいる人はまれでしょう。
手前味噌で言うわけではありませんが、新たに外国語学習を始める場合は、日本人教師に教わる利点は大きいと思います。
まず初期のうちに勉強する言語の構造(=文法)や、発音の仕方などを母語で説明してもらえるので、言語の「核」、あるいは「土台」となる部分の形成が比較的短時間ですみます。
ネイティブとして生まれた人は、頭が真っ白な赤ん坊の間に、何年も何年も、親や周囲の人の言葉シャワーを浴びて、徐々にこれを形成するわけです。
翻って私たち。色々な知識や常識、羞恥心などで、よごれっちまった悲しみを抱えて日々を暮らす我々オトナにそれを求めるのは酷というものではないでしょうか。オトナにはオトナのやり方があるのです。
そして、
「発音ができる人=耳がいい人、センスのある人」
と思ってはいませんでしょうか?
確かにそのような人は存在しますが、せいぜい一クラスに一人か二人でしょう。中学や高校で、やたらと英語の発音がエクセレントだったクラスメイトを思い出します。
しかし人類が生まれてこの方数百万年、筋肉や骨格は人種によって、時代によってそれほど大きな違いはないのです。
つまり、きちんとした筋肉の使い方が解れば、いわゆる「ネイティブっぽい」発音を習得することは、それほど難しいことではありません。
きちんとした舌の動かし方と位置、口の開け具合をわかるように説明してもらえれば、自分の口は結構思いどおりに動いてくれます。
試しに自分の舌で、歯を一本一本触ってみて下さい。
ね?ちゃんと動かせるでしょ?
どのように舌を使うのか、口はどんな形でどの位開けるのか、それは日本語できめ細やかな説明をしてもらった方が解りやすいのではないでしょうか。
「そうそうそう、そこでキモチ唇を開き気味にして、舌は上の歯の付け根に軽く当てて、音を出すと同時にぱっと放すんです。閉じた舌で息をせき止めておいて、一気に開放するイメージです。はい、舌にはあんまり力入れなくていいですからね。そうそうそうそう、今のでOKです」
相手の出す音を聞き分けて、その都度これぐらいの説明をさらっとしてあげられる。
日本人教師もかつては、というよりも現在進行形で同じ言語の学習者、つまり同志なのです。
自分が散々苦労して会得した文法知識、発音のコツ、それらは血となり肉となり、その人に宿っているのです。
目の前にいる生徒が、何につまづいているのか、過去に自分はどうやってそれを乗り越えてきたのか、きちんと解っている、心に留めている教師ならば、きっとその生徒を正しい方法で高いレベルに引き上げることが可能でしょう。
すでに何人にも教えてきましたが、教えるということで、教えられることの方が多いなあと思います。
私も新たな気持ちで臨みたいと思います。
[2回]
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