近頃、SNS経由ではなく、昔の友人からどんどん連絡が来ます。単純に、嬉しい。
いわゆる「確変」なのでしょうか?それとも何かに勧誘される予兆なのでしょうか。
Facebookなどのおかげで、「あの人今どうしているんだろうなー」という淡く切ない記憶が、生々しい姿で一年中更新されるようになりました。
それでも、あまりにも遠くに住んでいたり、生きる世界が変わってしまったりと、現実の世界で再び巡り会える人の数は、それほど増えないような気がします。
数十年後には、ネット上でその人がこの世を去ったことを知るのが普通になるのでしょう。
「結局一度も会えなかったな…」と、後悔することになるのでしょう。
でも、仕方のないことです。
あるいは、その頃にはあらゆる行政手続きもネットワーク化され、亡くなったその日に、本人のアカウントに事実が表示されるようになっているのかもしれない。
入力しておいた遺言メッセージが自動で表示されたりして、訪問者はそこに集い、故人を懐かしみ、思い出を語り合う…
これから数十年にわたって、SNSに参加し続けるということは、どうやって自分の終わりまでの姿を、もう会えない人たちに伝えていくかを考えることだと思います。Facebookのタイムラインとは、まさにそれを想定しているのでしょう。
そしてその人の足跡が、電子データとして永遠に残り続ける。
あらゆる人の人生の、誕生から死に至るあらゆる瞬間が、ネット上に保存される日が来る。
歴史を作り、人知れずその生涯を終えて、消えて行った「無名の」人たちが、これからは名を持つ一本の人生として、少なくともメモリーとしては永遠に生き続ける日が来る。
今は自分の曾祖父母の名前すら知らない人も多いでしょうが、未来では自分の10代前の先祖まで遡ることができるようになるはずです。
時々誰かが自分のことを思い出して、のぞきに来てくれる。
それが二度と会えない初恋の人だったら、嬉しい。そう考えると、少し話を盛りたくもなります。
もしかしたら、一度も会えない自分の孫の孫の孫の孫が、いつかどこかでアカウントを「発掘」してくれるかもしれません。
「ご先祖さんもアホだったんだな」
「ここでこの人と出会ってなかったら、おれは生まれなかったんだな」
どこか知らないところで、いつだか分からない未来で、そう感じてもらえれば、とても嬉しい。
ご先祖様は、今もこうしてアホな頭をぐるぐる回していますよ。
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