鉢植えのバジルを購入して、むしり取った葉っぱを料理に使っている。
家に置き始めた当初はなんだか葉っぱがだらーんとしなだれていたので、何が悪いのか、肥料がいるのかと頭をひねっていたけれど、ただ太陽に当てていなかったために元気がなかっただけのようだ。
朝、外に出してやるとたった一日でピンピンのツヤツヤになっていた。動物とか植物を育てるための知識が、もはや小学生以下になってしまっている。幼稚園児の方がもっとまともに世話できると思う。
生き物といえばムツゴロウさんこと畑正憲、最近著作を読みあさっている。
自分が生まれる前に出版された本がほとんどだから、ほとんどがAmazonで1円、古本屋で100円で投げ売りされている。極めてリーズナブル。本ほどその質と価格が比例しないものはこの世にない。
僕は胸を打たれた箇所のページに付箋を貼ったりカドを折ったりするのだが、『ムツゴロウの青春記』などは折り目だらけになった。ノートにも数ページにわたって書き写した。
畑氏の父親は独学で医学の勉強をして国家試験に合格した意志の人であるが、受験勉強中の生活費は妻や子供(正憲氏)が働いて稼いでいたという。正憲氏はその時代を振り返ってこう書いている。
[引用はじめ]
一番苦しかったのは父であったろう。息子たちを働かせ、しかも自分は金を使って勉強している。世間の常識とはまったく逆である。その精神的苦痛は想像にあまりある。
普通なら、
「ついに俺には達成できなかった。だから息子たちよ、お前たちが存分に勉強してくれ」
と言うはずである。これが現在の教育ママや教育パパの発想である。が、これほど自堕落な、愚劣な発想があろうか。
私はいくつになっても、ひたむきに生きる人を尊敬する。一ミリでも一センチでもいい、じりじりと夢へと這っていく人を。
息子に夢を託すというのは、生活の放棄であり甘えである。そういう心根で息子や娘に楽をさせても、ロクな結果が生まれるものか。現状にふさわしい所で、常に前を向いて歩くことこそ大切なのである。私は、自分の父が、家庭を一切顧みずに勉強したことを誇りたい位だ。
[引用おわり]
一年また一年と、生きてきた時間が長くなるにつれて、責任が増えてくるにつれて、「限界」がチラついてくる。
自分ほどの年齢の者がそんなことを思うのは笑止千万、人生の先輩たちに笑われてしまうだろうことは、十分理解しているはずなのだが、「私の人生ではここまでしかできないだろう、なぜなら…」という言い訳をいつのまにか用意し始めているのである。人生最大の敵はこいつである。
というわけで、僕は自分の子供(登場日未定)には苦労をかけることになると思うので、本人が不在の間にここで先に謝っておこうと思う。
[1回]
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