彼の文章はよーくよーく考えられていて、いつもすごいなあと思う。
皆がぼんやり考えつつも、めんどくさくて何となく流してしまう、そんな気持ちを、力を振り絞って言語化している。
---以下引用---
一人暮らしの家事というのは、「未来の自分(出来上がったご飯を食べてる自分・綺麗に畳まれた服を着る自分・清潔な部屋で寝る自分)」に対する「今の自分」からの「贈り物」だと僕は思ってます。というのも、「違う時間に同じ場所にいる人」はそれが「自分」であったとしても「他者」だからです。
一人でも、その都度「お母さん」になったり「子供」になったりしてると、自分に対して「ありがとう」と言いたくなるときがある。実は「自分」というのは、それ自体が一つの「家庭」で、「時間を隔てた多数の自分」が連帯することで維持されているのだと思う。
---引用終わり---
朝、目覚めるのは昨夜ヘトヘトになって布団にもぐりこんだワタシではなく、似ているけれど少しだけ違う新しいワタシ。
昨夜のワタシが仕事を中途半端にやっていたせいで、締め切りも間近だというのに全然原稿ができていない。昨夜のワタシの引き継ぎのまずさ、ふがいなさにあきれかえりつつ、火事場の馬鹿力でなんとかやってのけ、一息ついて勉強し、その調子でバリバリと一日を過ごし、充実の一日を終え、目を閉じる。翌朝目覚めたワタシは、前日のワタシがとりわけ優秀でずいぶん貯金を作ってくれたおかげで仕事もなく、左うちわ状態、結局ダラダラと新しい仕事もため込んで…
日によって優秀なワタシとそうでないワタシ、鬱状態のワタシにスーパーマンのワタシが現れて、明日へ明日へと人生を運んでいく。一人のワタシを作るメンバーたちだから、顔から声までそっくりだけれど、少しずつ能力も性格も違っている。
生まれてから今日までの日数を計算してみた。
今日こうしてなんとか生きている私は、9956人のワタシによる共同作品だ。
順調にいって80歳くらいまで生きられるとして、あと20000人くらいが控えのベンチに座って出番を待っている。
一人で歩く道、けれども後ろには全部で30000人の「時間を隔てた多数の自分」がついている。
そう考えると、ときに孤独な人生も、さびしくないかな。