臨床実習に新しい患者さんが二人見えられました。
実際に鍼を打ちながら、触診でわかる体の状態をお伝えし、治療方法について説明していきます。
内臓の炎症が、脊髄反射を介して筋肉を緊張させ、痛みが生じる。
つまり、神経というケーブルによって各内臓と脊髄はつながっていて、さらに脊髄から筋肉や皮膚にまでつながっています。
つまり、内臓の不調は神経というケーブルを通して、表皮に現れます。治療のポイント、重症度はすべて皮膚に「書いて」あります。
私たちはそれを読み取って、適切な刺激を加えることで、体を治癒に向かわせます。
大まかにこのように説明すると、患者さんはびっくりして、
「すごいですねえ!そんなことができるんですねえ!」とおっしゃって頂きます。
実際に鍼を受けられた方は「楽になった」と言ってニコニコと帰っていかれます。
なんだか名人になったようで悪い気分ではありませんが、訓練すれば誰でも身につけられる「技術」に過ぎません。点字が読めるのと同じようなものでしょうか。
同じことがちょうど今読んでいる司馬遼太郎の小説『花神』に書いてあり、驚きました。シンクロニシティですね。
蘭学者として西洋の医学を学び、後に大量の兵書を訳して倒幕軍の総司令官となる大村益次郎の生涯を描いたものです。
「医」と「翻訳」という、私の人生における二大テーマが取り上げられた小説で、不思議なシンパシーを感じるのです。(人間としてのスケールはずいぶん違いますが…)
主人公の村田蔵六(のちの大村益次郎)が蒸気船の製造を命じられ、製造法の書かれた洋書と、地元の職人の腕だけを頼りにこのビッグプロジェクトに取り組みます。
晴れて船は完成しますが、実際に動く様に驚嘆し、誉めそやす殿様たちに向かって、蔵六は冷ややかに言い放ちます。
「あたり前のところまで持ってゆくのが技術というものです」
メカニズムのいまだ明らかでない鍼灸というものを扱うからこそ、「名人」「ゴッドハンド」のような言葉に逃げ込まず、誰にでもわかる言葉で患者さんに説明し、誰にでもできる方法を次代へ伝えていくことが私たちの役目ではないかと思います。[7回]
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http://shinq.blog.shinobi.jp/Entry/89/技術とは魔法ではなく