私はそのとき大学生で、いつものように書店でふらふらと本を眺めていました。
ふと、子供向けに科学の不思議を解説した本を手にとってみました。
私は化学の教科書や数学の問題集は嫌いでしたが、こういう「科学よみもの」は昔から大好きなので、パラパラとページをめくっていたのです。
そこで、深く深く心に残る記述に出会いました。
「あなたが水道から汲んだコップ一杯の水には、ナポレオンが飲んだワインに入っていた水分子も必ず入っている」
ナポレオンだったかカエサルだったか大塩平八郎だったかははっきり覚えていませんが、確かにそう書いてありました。
その言葉が忘れられず、ふとしたときに脳裏によみがえってくるのです。
ウソだったら困るので、この記事を書くにあたって”コップ一杯の水 分子”というキーワードでGoogleってみたところ、たくさんのページにヒットしたので、おそらく間違いないのでしょう。アボガドロ係数や分子量など、詳しいデータをみてみたい方はご自分で試してみてください。
つまり、蛇口をひねってコップに満たした水はもちろん、自分の体の60%あまりを占める水の中にも、大塩平八郎が飲んだ大吟醸に入っていた水分子が入っているわけです。
ということは、大塩平八郎その人を構成していた水分子も当然私の体内にあって、時に汗やおしっことして出て行ったり、また食べ物と一緒に入ってきたりしているということになります。
この文章を読んでいるあなたの体内にも、大塩平八郎の水分子、そしてこれを書いている私の体内にあった水分子も、必ず存在します。
あなたが大っきらいな、同じ空気を吸うのもいやな上司の持っていた水分子も、好きで好きでたまらないアイドルの水分子も、必ず。
私は、これこそが輪廻転生なのだと思う。
何の間違いか、一時的に「ワタシ」ということになっている60kgほどのこのタンパク質や脂肪や水分の塊は、長い長い歴史、遠い遠い距離を超えて集まってきた塊です。
私の体内ではチベットの雪解け水がせせらぎ、荒れ狂うバミューダ海峡の大波が猛っている。
私の体内には、かつてどこかの荒れ野で敵の矢を受け、そのまま朽ちていった無名戦士の血や、何も知らず何も思わずただ生まれ、村祭りで屠られて食われた羊がくしゃみをしたときに出た鼻水や、あの頃どんなに頑張っても、カッコつけても届かなかったあの子の涙が流れている。
あなたは私で私はあなたで私はこの世界そのもの。
冒頭の言葉は、
これまで生まれ、死んでいったすべての命、そして同じ時代に生き、好き合って、嫌い合って、あるいは互いに無関心なままいつか死んでいく命たちに無限の親しみを覚える、そんな素敵な一節だと思うのです。