中学生のとき、初めて趣味の欄に「読書」と書いた。そもそも「趣味」などというものを意識したのはその時が初めてだったかもしれない。
私はその時、自分が何か知的な人の仲間に入ったような気がして、鉛筆を握る手にありったけの力を込めて、そう書いた。丸まった2Bの芯の先からは誇らしさがほとばしり出た。
そして今、 「趣味:読書」と書くことに一抹の侘びしさ、やるせなさを感じるのはなぜだろう。
世の中では就職のための履歴書には読書などと書いても、見向きもされないという。
現実に読書を趣味とする人は世の中に数多くいる。
「嗚呼、日々の仕事、子育て、介護、教育、喧嘩、博打に忙しく、なかなか自由な時間が取れない。
それでも唯一体が自由になる通勤電車の二時間こそがわたくしの黄金タイム。
その時間、私は本を読んでいる。
一日にいくらもない自分だけの時間の多くを、わたくしは読書をすることで過ごしている。
そしてその瞬間、わたくしはとてつもなく安らぎを覚える」
そんな人が「趣味:読書」と書くのは何ら不思議なことではない。
しかし社会には「趣味:読書=無趣味」として取り扱おうとする邪悪な黒い空気が立ちこめている。私はそれを何とかしたい。救いたい。
【対策】
具体的なジャンルを絞りに絞る
「本は心の栄養です」などと言う言葉を聞いたことがある。つまり本は形なきメシであるということだ。
つまり、「趣味は読書です」という人は、「趣味は栄養を摂取することです」と言っているようなものなのかもしれない。
食事なら誰でもするのである。本だって、必要とあらばどんな人でも気軽に手にとって読むことができる。
だから「あっそう」と言われてしまう。
そもそも履歴書に趣味を書かされるのはなぜなのだろう。
趣味を発表するというのは、相手に自分はこういうキャラクターの人間ですと発表することだ。
だから、音楽や絵画など、芸術系を答えれば何となく心の優しい繊細な人のような気がするし、ギャンブル系ならば大胆不敵な豪傑、機械製作などであれば手先が器用で理論的、という印象を受けるだろう。
「あなたは他の人とどう違うのか、私は知りたい」
その入り口が、趣味を問う、ということなのだ。本当はあなたが休みの日に何をしていようが、知ったこっちゃないのだ。
だから、手っ取り早く自分の独自性を強調するためには、ジャンルを細分化するに限る。
「趣味は食事です」よりも、「趣味はイタリア料理を食べることです」
というと、途端にキャラが立ってくる。何かさわやかな風が吹いてくるような気さえする。「うぬぬ、できる」と思う。
これを読書にも応用しよう。
ただし、中途半端ではいけない。
「趣味は推理小説を読むことです」ではまだ弱い。多くの人はここで終わっている。
それは「趣味は野菜を食べることです」と言っているに等しい。
よく戦って「東野圭吾が好きです」までで討ち死にしてしまう。
もう一歩踏み込んで、さらに細かく掘り下げてみよう。
「趣味は読書で、推理小説が好きです。とりたてて好きな作家はいませんが、タイトルが『と』で始まる小説しか読みません。最近だと西村京太郎の『十津川警部 鹿島臨海鉄道殺人ルート』がおもしろかったです。むしろ棚一つ十津川警部シリーズで埋まってます。東野圭吾もおもしろいらしいんですが、なにぶん『と』で始まる作品が少なくて、『トキオ』くらいしかないんです。でも『十字屋敷のピエロ』っていう作品があって、これはちょっと強引に『とじやしきのぴえろ』という読み方なんだと自分に言い聞かせながら最後まで読んじゃいました。すこしでも『じゅうじ』と読もうとすると途端に読む気が失せるので、十津川警部のことを思い出しながらひたすら『とじやしき、とじやしき…』と唱えていたので内容はあまり覚えていません」
いかがだろうか。ここまで徹底していると相手もあなたの個性を認めざるを得ないはずだ。
なぜ「と」で始まる作品しか読まないのか、尋ねられることだろう。そこで何かもっともらしいドラマティックなエピソードをぶつけてやれば、相手はもう朝も夜もあなたという人間のことを考えに考えて過ごすことになるだろう。
このテクニック、ぜひおすすめしたい。
もっともらしくてドラマティックなエピソードは是非ご自分で考えて頂きたい。[0回]
PR
http://shinq.blog.shinobi.jp/Entry/49/読書人を救う法