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牛歩庵―鍼灸師・中国語医療通訳/翻訳者のblog

「鍼灸はなんで効くの!?」「ツボって何?」

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すべてはこの中に

 今、僕の目の前に、料理の本が一冊ある。中華料理の本だ。適当にページを開いてみる。「スープの種類」が目に入った。上湯、毛湯、頂湯、白湯という四種類が紹介されている。どうやらそれぞれに用途は異なるらしい。
僕は、今、四種類のスープがあるということを知った。
知識が一つ増えた。

だが、知識が増えるというのは何だろう。一つのコップから別のコップに水を移すのならわかりやすい。物質の移動があるからだ。
しかし、僕の脳の中に、「知識」という物体が入ってきたのではない。
さっき文字を見たときに、何か物理的なものが頭に侵入してきたかと尋ねられれば「いいえ」と答える。さらに不思議なことに、コップの水を移し替えるのとは違って、本に書いてある事柄も消えていない。

頭の中で回路がつながった、ということらしい。バラバラに存在していた一個一個のニューロン(神経細胞)が、目から入ってきた文字情報を受けて興奮し、お互いに手を伸ばしてシナプス結合をし、情報(電気信号)の交換を始めた。それが「わかる」「知る」の正体らしい。

僕たちの頭脳の中には、産まれた時から「全て」が入っているようだ。全て人間の知識、智慧というのは、ニューロンの組み合わせで決まるということらしい。

しかしそれでも僕にはわからない。なぜニューロンがつながれば、「わかった」ことになるのか。

よく考えればコンピューターも同じだ。ネットにつながっているからといって、ケーブルから何かがじゃんじゃん流れ込んでくるわけではない。電気信号がなにやらピコピコやっているだけだ。
それでも私が見ているスクリーンには、この世のどこかにあるらしい、見たこともない風景が映し出されている。これも細かく見れば、赤青緑の光の点の集合でしかない。その組み合わせが、「画像」なるものを作り上げ、私たちが「風景」として認識している。

何かを「わかる」ということも、これと同じことだろうか。一つ一つでは意味のない情報が、ある規則をもって組み合わさることで、そこに「意味」が生まれる。
意味を与えるのは、僕たち自身だ。

それでは、「意味」とはどこでどうやって決めるものなのだろうか。やはりわからない。

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月末あたり六甲へ

ようやく試験が終わってホッとしております。

少しストップしていた翻訳もモリモリやるぞ~。


鍼灸学校に入って、人体のこと、生理のこと、鍼の技術について「体で覚える」ということを強く意識するようになりました。

(なんか色々書いたけど削除)


……というわけで、
山歩き用の靴を買いました。

とてもうれしい。


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宇宙の使い道

よく、

「雄大な星空を見ていると、自分がいかにちっぽけな存在かがわかるよねー。日々の悩みって本当に取るに足らないよねー、我々人類ってこんな小さな星の上で争っていて、つまらないよねー、ハカナイよねー」

などと言います。

誠にその通りだと思います。

グーグルアースかなんかで自宅の上空から、日本が一画面で収まるくらいに上昇を続け、さらに地球全体をクルクル回せる位に画面を縮小してゆくと、私たち地球に生息する生き物たちの微少さ、儚さ、どうでもよさを嫌というほど感じることができます。ため息すらこぼれるほどに。
憶測ですがグーグルアースのせいでかなりの人が憂鬱な気分に陥ったのではないでしょうか。

その地球ですら宇宙の中では一粒の塵でしかない。

「巨大」、という言葉で形容するには余りにも大きすぎる宇宙。

しかし、もしもその宇宙全部が、さらにさらに気の遠くなるほど巨大な生き物が喫茶店(的な場所)ですすっているコーラ(的な飲み物)に浮いている氷の一分子の中に存在する空間でしかなかったとすればどうでしょう。

もはや私たちなど、台所の隅で人知れず繁殖するブドウ球菌以下の存在なのです。

宇宙について、まだ私たちは映像や写真、野口聡一さんのインタビューを介して垣間見ることしかできません。
軌道エレベーターや月面・火星移住計画も遅々として進まぬこの時代、我々にとっての「宇宙の使い道」とは、自分の小ささを認識することにしかないのかもしれません。

しかし、「私たちはどうせちっぽけなのだ。大したことないのだ。だから目の前の事などどうでもいいのだ」
などと言っていれば、途端に仕事は取り上げられ、家族は失い、友人からは後ろ指をさされ、クレジット会社からは矢の催促が来るようになります。

平然とそうした環境に自分を叩き込める人種のことを「哲学者」と呼ぶのかもしれません。

私たちはやはり自分の身の丈にあった世界に立ち向かい、命をかけて取り組まなければ生きていけない。

自分に近い物は大きく見えて、遠い物は小さく見える、遠近感とはよくできた自然の法則だと思います。
自分にとって大きく見えるものは、大切。
小さく見えるものは、そうでもない。

そこになるべく客観的な立場で補正をかけてゆくのが、人間の想像力。

小さな、くだらない生き物であるおのれを意識しつつ、等身大の世界をしなやかに飛び越えていける、というのが、人間としての理想なのではないでしょうか?私はそう思うのです。

しかし、そのバランスというのがこれ以上ないほど難しい。
いつも宇宙レベルで物を考えていれば、胃袋が叫びを上げ始める。妻と子供が泣く。
いつも自分サイズで日々を暮らせば、窮屈で息苦しい。逃げ道がなくなる。

たぶん生涯、その両極の間で行ったり来たりをするのだと思います。
そしてどこか適当な所に自分の場所を見つけ、そこに具合の良い椅子など置いてひなたぼっこしているうちに、またいつか宇宙の一部に戻る日が来るのだと思います。

 

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帰り道

一緒に歩きながら話している時に、

「欲がないんですね」と言ってみた。

先生がいつも通りの微笑み顔で、

「そんなことないですよ。欲はありますよ。

でもねえ、

有名になんかなっても、いいことなんて一つもないですよ。ほんまに」

と言った。

いつも通りの、なんか、少しかなしそうな微笑み顔で。


最近は、今まで敬遠していた「オマエはどうやってのし上がるか」的な本をノシノシ読んでいたところだった。

やっぱりそうなんかな?と思った。

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悩む前に歩け

週末は図書館で勉強しておりました。

開館前から行列ができて、受験生たちの自習室の席取り合戦に巻き込まれます。

私の学校も月末には実技認定試験と、3月始めには期末試験が待っています。

経穴も全部覚えないといけないし、解剖学、生理学、中医学、やらねばならんことがいくらでもある。明日が締め切りの翻訳原稿もある。

仕事も勉強も回り道ばかりしているが、前進はしているはず。
手を差しのべてくれる人もいて、だんだんと光が見えてきました。

日本に帰って、新しい道を歩き始めてから、もうすぐ一年。

思い起こせば中学も高校も大学も、一年目はいつものろのろしていた。
もう少しペースを上げられるだろうか……




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プロフィール

HN:
岡本悠馬
性別:
男性
職業:
鍼灸師・中国語翻訳者/医療通訳・講師
自己紹介:
神戸市須磨区妙法寺・南天はり灸治療院の院長・中国語翻訳者です。
2007年~2009年まで在外公館派遣員として中国上海に勤務。現在は翻訳者として活動しています。鍼灸では神経生理学に基づく治療を行います。反応点治療研究会所属。神戸市外国語大学非常勤講師。

手がけたもの:政治、軍事、経済、医薬、ソフトウェア取扱説明書、料理、紀行文、芸術展パンフレット、観光案内、中国語学習教材、古文(唐詩・宋詞など)、現代小説等。

メールアドレス:
okamotoyum★gmail.com(★を@に変えて送信)

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