彼の文章はよーくよーく考えられていて、いつもすごいなあと思う。
皆がぼんやり考えつつも、めんどくさくて何となく流してしまう、そんな気持ちを、力を振り絞って言語化している。
---以下引用---
一人暮らしの家事というのは、「未来の自分(出来上がったご飯を食べてる自分・綺麗に畳まれた服を着る自分・清潔な部屋で寝る自分)」に対する「今の自分」からの「贈り物」だと僕は思ってます。というのも、「違う時間に同じ場所にいる人」はそれが「自分」であったとしても「他者」だからです。
一人でも、その都度「お母さん」になったり「子供」になったりしてると、自分に対して「ありがとう」と言いたくなるときがある。実は「自分」というのは、それ自体が一つの「家庭」で、「時間を隔てた多数の自分」が連帯することで維持されているのだと思う。
---引用終わり---
朝、目覚めるのは昨夜ヘトヘトになって布団にもぐりこんだワタシではなく、似ているけれど少しだけ違う新しいワタシ。
昨夜のワタシが仕事を中途半端にやっていたせいで、締め切りも間近だというのに全然原稿ができていない。昨夜のワタシの引き継ぎのまずさ、ふがいなさにあきれかえりつつ、火事場の馬鹿力でなんとかやってのけ、一息ついて勉強し、その調子でバリバリと一日を過ごし、充実の一日を終え、目を閉じる。翌朝目覚めたワタシは、前日のワタシがとりわけ優秀でずいぶん貯金を作ってくれたおかげで仕事もなく、左うちわ状態、結局ダラダラと新しい仕事もため込んで…
日によって優秀なワタシとそうでないワタシ、鬱状態のワタシにスーパーマンのワタシが現れて、明日へ明日へと人生を運んでいく。一人のワタシを作るメンバーたちだから、顔から声までそっくりだけれど、少しずつ能力も性格も違っている。
生まれてから今日までの日数を計算してみた。
今日こうしてなんとか生きている私は、9956人のワタシによる共同作品だ。
順調にいって80歳くらいまで生きられるとして、あと20000人くらいが控えのベンチに座って出番を待っている。
一人で歩く道、けれども後ろには全部で30000人の「時間を隔てた多数の自分」がついている。
そう考えると、ときに孤独な人生も、さびしくないかな。
私はそのとき大学生で、いつものように書店でふらふらと本を眺めていました。
ふと、子供向けに科学の不思議を解説した本を手にとってみました。
とりわけ子供さんの写真は和みます。
今さらですが、年末になると書店にCD-ROMつきの年賀状作成本がうずたかく積まれます。
近頃は特にそのラインナップの多さに驚かされます。かくいう私も一冊購入しました。
ただ、その手の本には何か違和感を覚えます。
安ければ500円、ちょっといいものだと1000円ほど払って本一冊を購入します。
付属CD-ROMに大量のイラストや素材がこれでもかとばかりに詰まっていますが、多くの人はたった一枚の絵しか使用しません。イラストを眺めてあれこれ言いながら選ぶのは至福の時間ですが、結局一枚の絵のために1000円だか500円だかを支払うことになります。
今年であれば多くはうさぎさん関連の絵柄なので、次に使うとすれば12年後になりますが、おそらく使わない。前年に買ったトラの絵柄の本は、書棚の奥で朽ち果てようとしています。きっともう二度と開きますまい。
私はびんぼうくさいのでしょうか。
たとえば絵柄だけを掲載した冊子(カタログ)を書店で無料配布して、出版元のサイトにアクセスしてもらい、一枚100円だか200円だかでダウンロードしてもらう。というスタイルにはできないものでしょうか。最近ならPCで賀状を作ろうという家がネットに接続できないようなこともないでしょう。
すでにCD業界も壊滅が間近に迫っているこの時代にこれだけCD-ROM付きの書籍が店頭に並ぶことに、私は違和感を覚えるのかもしれません。
あきらかにコストがかかりすぎです。
冊子を受け取った人が本当に出版元にアクセスしてくれるのか、課金はどうするのか、という問題はあるかもしれませんが、是非やってほしい。
しかもこの方法を使えばどの絵柄が一番人気だったかといった統計もとれますから、絵を描く作家さんにとっても励みになるはず。
あるいは冊子を一部100円で売って、シールをはがしたところに載っているパスワードを入力したらサイトから一枚ダウンロードできるとか。
私だったらその方が断然安くあがるので嬉しい。
どこかの出版社がやってくれないでしょうか。