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牛歩庵―鍼灸師・中国語医療通訳/翻訳者のblog

「鍼灸はなんで効くの!?」「ツボって何?」

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心肺いらない

今日はひたすらカンヅメ作業でした。

電話番もあるわ新しい翻訳もあるわで
、日の過ぎるのの早いこと。

学校はテスト前なのです。
間に合うのかワタシ……?

パソコンで中医学のまとめをしていると、ATOKが素敵にマニアックな変換をするようになってきて、通常の文書作成や日常のメールのやりとりに支障を来すようになってきた。

かんたんでした→肝胆でした

かれのいんしょうについて→彼の陰証について

きかいがあればまた→気海があればまた



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宇宙の使い道

よく、

「雄大な星空を見ていると、自分がいかにちっぽけな存在かがわかるよねー。日々の悩みって本当に取るに足らないよねー、我々人類ってこんな小さな星の上で争っていて、つまらないよねー、ハカナイよねー」

などと言います。

誠にその通りだと思います。

グーグルアースかなんかで自宅の上空から、日本が一画面で収まるくらいに上昇を続け、さらに地球全体をクルクル回せる位に画面を縮小してゆくと、私たち地球に生息する生き物たちの微少さ、儚さ、どうでもよさを嫌というほど感じることができます。ため息すらこぼれるほどに。
憶測ですがグーグルアースのせいでかなりの人が憂鬱な気分に陥ったのではないでしょうか。

その地球ですら宇宙の中では一粒の塵でしかない。

「巨大」、という言葉で形容するには余りにも大きすぎる宇宙。

しかし、もしもその宇宙全部が、さらにさらに気の遠くなるほど巨大な生き物が喫茶店(的な場所)ですすっているコーラ(的な飲み物)に浮いている氷の一分子の中に存在する空間でしかなかったとすればどうでしょう。

もはや私たちなど、台所の隅で人知れず繁殖するブドウ球菌以下の存在なのです。

宇宙について、まだ私たちは映像や写真、野口聡一さんのインタビューを介して垣間見ることしかできません。
軌道エレベーターや月面・火星移住計画も遅々として進まぬこの時代、我々にとっての「宇宙の使い道」とは、自分の小ささを認識することにしかないのかもしれません。

しかし、「私たちはどうせちっぽけなのだ。大したことないのだ。だから目の前の事などどうでもいいのだ」
などと言っていれば、途端に仕事は取り上げられ、家族は失い、友人からは後ろ指をさされ、クレジット会社からは矢の催促が来るようになります。

平然とそうした環境に自分を叩き込める人種のことを「哲学者」と呼ぶのかもしれません。

私たちはやはり自分の身の丈にあった世界に立ち向かい、命をかけて取り組まなければ生きていけない。

自分に近い物は大きく見えて、遠い物は小さく見える、遠近感とはよくできた自然の法則だと思います。
自分にとって大きく見えるものは、大切。
小さく見えるものは、そうでもない。

そこになるべく客観的な立場で補正をかけてゆくのが、人間の想像力。

小さな、くだらない生き物であるおのれを意識しつつ、等身大の世界をしなやかに飛び越えていける、というのが、人間としての理想なのではないでしょうか?私はそう思うのです。

しかし、そのバランスというのがこれ以上ないほど難しい。
いつも宇宙レベルで物を考えていれば、胃袋が叫びを上げ始める。妻と子供が泣く。
いつも自分サイズで日々を暮らせば、窮屈で息苦しい。逃げ道がなくなる。

たぶん生涯、その両極の間で行ったり来たりをするのだと思います。
そしてどこか適当な所に自分の場所を見つけ、そこに具合の良い椅子など置いてひなたぼっこしているうちに、またいつか宇宙の一部に戻る日が来るのだと思います。

 

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調理場という戦場

上海で親友に貸していた本。
大阪で再会した折りに、返してもらいました。本当はあげてもよかったのですが、せっかくなので再読しました。

調理場という戦場
「コート・ドール」斉須政雄の仕事論(幻冬舎文庫)


23歳の時に単身フランスに渡り、十数年にわたり厳しい修業時代を経てきたシェフ。
まるで金太郎アメのごとく、どのページを開いても金言の数々がほとばしり出てきます。


すでに何度も読み返していますが、これからも、何度でもページをを開くことになると思います。

その時々で一番響いてくる言葉が変わってくるのは面白いですね。
何度も読み返しているのは、本当にこの本の意味を全部理解していないからで、そして、本当に理解するためにはただ読むだけでは全く意味がない。

それだけでは彼の立つ場所には、近づけない。

読む度に勇気が湧いて来る本は数々あるけれど、自ら「戦場」に飛び込まないことには、ここに書いてある言葉を理解 できないのだと思います。

素晴らしい本であるからこそ、本の限界をも感じさせてもらえる気がします。




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日本人が教える外国語

来週から個人指導で中国語を教えることとなりました。

どうやら最近では、

「語学はネイティブに教わるべき」

「赤ちゃんの心で学ぶ」


という考え方も下火になってきたと思うのですが、改めて自分の考え方を書いてみたいと思います。

ネイティブ(だけ)に教わるというのは、ある程度学習が進み、カタコトでも何とか意志の疎通ができるようになってからでも遅くないと思います。

もちろん、日本人、外国人どちらの教師もいてくれるというのが理想なのかもしれませんが、それほど恵まれた環境にいる人はまれでしょう。

手前味噌で言うわけではありませんが、新たに外国語学習を始める場合は、日本人教師に教わる利点は大きいと思います。

まず初期のうちに勉強する言語の構造(=文法)や、発音の仕方などを母語で説明してもらえるので、言語の「核」、あるいは「土台」となる部分の形成が比較的短時間ですみます。

ネイティブとして生まれた人は、頭が真っ白な赤ん坊の間に、何年も何年も、親や周囲の人の言葉シャワーを浴びて、徐々にこれを形成するわけです。
翻って私たち。色々な知識や常識、羞恥心などで、よごれっちまった悲しみを抱えて日々を暮らす我々オトナにそれを求めるのは酷というものではないでしょうか。オトナにはオトナのやり方があるのです。

そして、

「発音ができる人=耳がいい人、センスのある人」

と思ってはいませんでしょうか?

確かにそのような人は存在しますが、せいぜい一クラスに一人か二人でしょう。中学や高校で、やたらと英語の発音がエクセレントだったクラスメイトを思い出します。

しかし人類が生まれてこの方数百万年、筋肉や骨格は人種によって、時代によってそれほど大きな違いはないのです。

つまり、きちんとした筋肉の使い方が解れば、いわゆる「ネイティブっぽい」発音を習得することは、それほど難しいことではありません。

きちんとした舌の動かし方と位置、口の開け具合をわかるように説明してもらえれば、自分の口は結構思いどおりに動いてくれます。

試しに自分の舌で、歯を一本一本触ってみて下さい。

ね?ちゃんと動かせるでしょ?

どのように舌を使うのか、口はどんな形でどの位開けるのか、それは日本語できめ細やかな説明をしてもらった方が解りやすいのではないでしょうか。

「そうそうそう、そこでキモチ唇を開き気味にして、舌は上の歯の付け根に軽く当てて、音を出すと同時にぱっと放すんです。閉じた舌で息をせき止めておいて、一気に開放するイメージです。はい、舌にはあんまり力入れなくていいですからね。そうそうそうそう、今のでOKです」

相手の出す音を聞き分けて、その都度これぐらいの説明をさらっとしてあげられる。

日本人教師もかつては、というよりも現在進行形で同じ言語の学習者、つまり同志なのです。
自分が散々苦労して会得した文法知識、発音のコツ、それらは血となり肉となり、その人に宿っているのです。

目の前にいる生徒が、何につまづいているのか、過去に自分はどうやってそれを乗り越えてきたのか、きちんと解っている、心に留めている教師ならば、きっとその生徒を正しい方法で高いレベルに引き上げることが可能でしょう。

すでに何人にも教えてきましたが、教えるということで、教えられることの方が多いなあと思います。

私も新たな気持ちで臨みたいと思います。

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近況

縁あって週一回、とある鍼灸院に出入りさせて頂くこととなりました。

縁というよりも半ばおしかけのようなものですが。

最近は学校で学ぶ内容だけでは限界を感じ、「現場しかない」との思いで「我が師」を探していたのでした。
まだ、弟子入りというわけではないのですが、思い切ってアプローチしてみた結果、見学を了承して頂いた次第です。感謝あるのみです。

もちろん私はまだライセンスがないので、側で見て、メモを取ったり質問したり、タオルをかけたりするだけですが、刺鍼術について、治療院の経営について、この業界で生きていく覚悟について、わが国の東洋医学をとりまく現状について、惜しみなく話を聞かせてもらえます。

特に
後ろ二つの話題は、聞かされるたびに恐ろしいキモチになります。はたして自分は生きていけるのか?
しかし同時に武者震いも覚えるのです。



『大地の子』(全四巻・文春文庫)を読み終えました。
戦争によって国家に棄てられた、年端もいかぬ幼子たちと、その両親の物語。
「読むのが遅かった」、と思いました。
私たちは誰を踏みにじって、今ここに生きているのか。「知らぬことは罪」とは正にこのことなのではないか。
戦後の中国の歩み、日中関係、残留孤児。全てがここに凝縮されています。
この分厚い本で語られる数千、数万倍もの悲劇が、あの大地の上に吹き荒れていたのです。



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プロフィール

HN:
岡本悠馬
性別:
男性
職業:
鍼灸師・中国語翻訳者/医療通訳・講師
自己紹介:
神戸市須磨区妙法寺・南天はり灸治療院の院長・中国語翻訳者です。
2007年~2009年まで在外公館派遣員として中国上海に勤務。現在は翻訳者として活動しています。鍼灸では神経生理学に基づく治療を行います。反応点治療研究会所属。神戸市外国語大学非常勤講師。

手がけたもの:政治、軍事、経済、医薬、ソフトウェア取扱説明書、料理、紀行文、芸術展パンフレット、観光案内、中国語学習教材、古文(唐詩・宋詞など)、現代小説等。

メールアドレス:
okamotoyum★gmail.com(★を@に変えて送信)

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